不思議多事争論0003

ビルマ僧院跡の考察

  
 以下に掲載するのは、心霊スポット「ビルマ僧院跡」について、職場の先輩が筆を執ってくれたレポートである。非常に興味深い内容である。

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       ビルマ僧院建設頓挫地というのが正しいのではないだろうか?
      もともとこの地にビルマ系の僧院を建てようと昭和初期に計画されれたのではあるが、
      石清水八幡宮のお膝元であり宗教色の強いものは地元住民が難色を示し工事途中で中止。
      その後解体されることもなく現在に至る。
      時期を同じくして大東亜戦争(第2次世界大戦)が始まっていることもあり建設中止は地元
      反対のみでなく物資の調達や資金的な問題もあったのであろう。
      こういった時代背景から軍人病院(野戦病院跡)などといわれても居るが、本土決戦がない
      戦争(前線になっていない)で野戦病院が作られるであるだろうか?
      また規模や立地条件を考えても山中の小さな山寺を病院に使うであろうか?
      少なくとも小生はその事実を記した文献を見つけることはできていない。
      なぜそのような噂が広まったのか?
 
       戦争時に野戦病院があるのは普通であるが、基本的にそれは前線に作られる。しかし、
      この後ろ部分は割と省略されている。したがって何処にでも野戦病院があるかのような
      話になってもおかしくはない。さらに人づてに伝わる話はどんどん大きくなっていくの
      である。大本の話は「病院にしてはどうだろうか?」「病院っぽい造りだ」位だと思わ
      れる。そのうちに話が一人歩きしだすと、「野戦病院みたいだった」「軍人さんが担ぎ
      こまれていただ」などとなり「カルテが落ちていた」などの尾ひれがつくと立派な
      「捏造野戦病院」の出来上がりである。
      そもそも、十年以上たったころに出始めた「カルテが散らばっていた」に関しては誰か
      が付け加えたものとしか考えにくいのである。当時の紙質なども考えていただきたい。
      雨ざらしにされていたものが、十年以上も判読可能な状態で残っているだろうか?
      さらに日本語表記ではなかったはずである。

      軍事施設という話になったのは、近くにある海軍将校の石碑のせいであろう。
      その周辺にある石仏がなんともいえない不思議な情景をかもし出すまさに非日常の森で
      あったからであろう。

      長々と書いては来たが八幡市史の第3巻にこのあたりのことは記載されており、ビルマ僧
      院建設予定地及び宗教公園建設予定地(計画中止)で間違いはないのである。

      本題はここからである。物件自体に全く霊的なものは無いのであるが、実際に行った人
      の中では割と体調不良を訴えたりしているようだ。
      小生的にはこの場所の立地条件が問題なのではないだろうかと考えている。
      男山は木津川から淀川が東から北を経由し西側に渡って取り巻く形に流れている。
      三方向を川によってせき止められてるわけである。土地があるのは南側だけである。
      しかもその南側は山があるわけで八方塞の場所にビルマ僧院跡地は存在する。
      どうしても気の流れが淀んでしまうのではないだろうか?
      手の入っていない鬱蒼とした森、途中で放置された人工物、石碑、石像・・・。
      こういった非日常が視覚的に捕らえられ、そこに気の淀んだ状態が重なれば自ずと前述
      の体調不良が起こってもなんら不思議ではないと思われる。

      最後に小生の聞いたことのある当地にまつわる噂をいくつか紹介

      @肝試しに行った子供たちが現場についたとき、なぜか人数が多かった。しかしみんな
        知っている顔で、誰が増えたかはわからない。下山後、確認すると人数は元に戻っていた。
      A山を登っていると途中でおかっぱ姿の女の子が後ろからついてくる。
      B肝試しに行ったまま帰ってこない人が居た。
      C霊道の一部になっている。冥界の入り口とつながっている。